バイク事故から回復までの35日間
2025年11月1日、僕は原付バイクで転倒事故を起こし、生死の境をさまよいました。脳挫傷、顔面骨折、舌と歯の損傷——医師からは「重症」と告げられ、家族は覚悟を迫られたそうです。
この記事は、事故当日から約1ヶ月間の入院生活を、祖父が毎日記録してくれていたものをもとにまとめたものです。僕自身、事故後5日間ほどの記憶がありません。だからこそ、この記録は僕にとってかけがえのないものになりました。
目次
- 11月1日(土)——事故発生
- 11月2日〜4日——意識の回復
- 11月5日〜7日——のどの手術、そして筆談へ
- 11月8日〜11日——少しずつ日常へ
- 11月12日(水)——下顎の手術
- 11月14日——手術延期
- 11月15日〜17日——待機の日々
- 11月18日〜21日——一般病棟へ
- 11月22日(土)——コンビニへの小さな冒険
- 11月26日〜27日——発熱、そして回復
- 11月28日(金)——14時間の大手術
- 11月29日〜12月2日——術後の苦しみ、そして光
- 12月3日(水)——声が戻った日
- 12月4日〜5日——前を向いて
11月1日(土)——事故発生
早朝5時頃、僕は名古屋市中区の会社を出ました。その約1時間後、瑞穂区の路上で原付バイクごと転倒。詳しい状況は今も分かっていませんが、他の車との接触はなかったようです。
午前8時過ぎ、警察が自宅を訪問。父親が病院に駆けつけたとき、医師から告げられたのは「顔の半分がかなりひどい怪我で、重症」という言葉でした。
祖父母も病院に到着。救急外来での応急処置が終わり、僕がICUに運ばれていく姿を見たとき、祖父は「一見しただけでは、医師に言われていたほどひどいようには見えなかった」と感じたそうです。でも実際には、脳の左前頭葉に挫傷があり、まずは脳内の圧力を測定するための緊急手術が必要でした。
午前11時、手術開始。約1時間半後、手術は無事成功。術中に手足を動かす動作があったことから、「おそらく手足には大きなダメージはないだろう」との見立てでした。
11月2日〜4日——意識の回復
事故翌日、僕は呼びかけに対してうなずけるようになりました。3日目には文字盤を使って会話ができるまでに。この頃のことは、僕自身まったく覚えていません。
前頭葉と頬の骨折、歯および舌が大きく損傷しており重傷。一命はとりとめた状況。今後気道を確保するための喉の手術、頬の骨折、歯および舌の修復手術が必要。
4日目、ICU内でベッドが移動になり、翌日ののどの手術に向けた準備が始まりました。
11月5日〜7日——のどの手術、そして筆談へ
5日、人工呼吸器の管を口から首に移す手術を受けました。これは今後の顔面手術に向けた準備でもありました。
6日にはリハビリが始まり、廊下を歩く訓練がスタート。そして7日、フェルトペンでの筆談ができるようになりました。
看護師さんとのやり取りを祖父がメモしてくれていました。
おはようございます!
口の中に大きなゴミ、痛いから取ってほしい。
頭が痛いので薬がほしい。
77.8 ZIP-FMが聞きたい。
今日は一回も寝れなかった。どうしたら寝れるかな?
祖父母への筆談には、こう書いていたそうです。
だんだん元気になってる。
いつも来てくれてありがとう。
ゆっくり治して、ゆっくり働き直したい。
11月8日〜11日——少しずつ日常へ
8日、警察からバイクとヘルメット、スマホが戻ってきました。不思議なことに、バイクもヘルメットもほとんど損傷していなかったそうです。顔だけがひどく怪我をしていた——どんな転び方をしたのか、今でも謎のままです。
9日にはHCU(高度治療室)の個室に移動。ラジカセを置いてもらい、スマホも手元に。
10日、脳内の圧力計が外され、顔の腫れもかなり引いてきました。両目がしっかり開くようになり、スマホ操作用のテーブルもベッドに取り付けられました。
11日、廊下でリハビリ中の僕と祖父母がばったり遭遇。ベッドに座れるようになり、スマホも使えるように。「少し疲れる」と言いながらも、着実に回復していました。
11月12日(水)——下顎の手術
9時から12時まで、3時間の手術。折れた下顎のずれを直して金具で固定し、化膿しかけていた舌も縫い直しました。
術後、医師からは今後の見通しが説明されました。
- 金曜日に上顎と脳の大きな手術を予定
- 順調なら一般病棟に移動
- その後、リハビリ病院への転院が必要
- 脳の損傷による後遺症(注意散漫、性格の変化)の可能性
- 嚥下や発声のリハビリにはかなりの時間がかかる
祖父は、頭蓋骨のCT写真を見て「少しばかりショックだった」と書いています。
11月14日——手術延期
金曜日の大手術に向けて準備が整っていましたが、前夜からの発熱で急遽中止に。白血球の数値が良くなく、軽い肺炎の可能性もあるとのこと。
「急ぐ手術でもないので」という医師の言葉に、家族は一安心。でも僕は、いつもより元気がなく、疲れた様子だったそうです。
11月15日〜17日——待機の日々
15日、姉や弟、父親、祖父母の6人が面会に。前日の疲れから回復し、元気な様子を見せることができました。
16日、眼鏡を受け取り、保険や事務手続きの話。「手術が延期して、暇になった」と言ったそうです。元気になった証拠ですね。
17日の筆談では、こんなことを書いていました。
早くしゃべれるようになりたい。
口から飲んだり食べたりしたい。
飲んだり食べたりする夢をよく見る。
アイスクリームや牛丼が食べたい。
11月18日〜21日——一般病棟へ
18日、脳神経外科の一般病棟に移動。マスク越しでも、顔の腫れがすっきりしているのが分かりました。
「暇だから、早く手術がしたい」
「退院したら体調が季節の変化についていけるか心配」
「入院してなければ、友達と香嵐渓に紅葉を見に行っていた」
そんな会話ができるまでに回復していました。
21日、ついに3週間ぶりのシャワー。のどのパイプも外れ、体がかなり身軽になった印象だったそうです。
11月22日(土)——コンビニへの小さな冒険
面会時間前、デイルームで待っていた祖父母の前に、僕が一人で歩いて現れました。「コンビニまで行きたい」と。
カップラーメン、ミルクコーヒー、アイスクリーム、あんパン、おにぎり——次から次へと指さしては「どれも美味しそうだ」と。結局買ったのはノート1冊と綿棒1箱だけでしたが。
この日、僕はこう話したそうです。
この事故は、ヘルメットさえ飛んでいなければ無傷だったのに。
たくさんの人に迷惑や心配をかけたけど、この入院生活をいい経験として、これからもしっかり生きていきたい。
祖父は「きちんとしたことが言えるので、頭の傷は大丈夫だったと思います」と安堵の言葉を記しています。
11月26日〜27日——発熱、そして回復
26日、朝から38度の発熱があり、面会は中止に。僕から祖父母にLINEを送りました。
本日は今朝から体調不良のため、面会はなしでお願いします。
翌27日には回復。この日、初めて自分の頭蓋骨のCT写真を見せてもらいました。
「骨折だらけのすごい怪我だったんだね」
僕は驚いたそうです。道路のポールが顔の左上から右下にかけて斜めにぶつかったらしい——そう聞いても、事故の記憶は何もありません。
祖父に「事故後の自分がどんな様子だったか知りたい」と伝えると、「元気になったらメモをプリントアウトして持ってくるよ」と言ってくれました。僕はびっくりして、両手を合わせて「ありがとう」と伝えました。
11月28日(金)——14時間の大手術
朝8時45分、手術開始。形成外科と脳神経外科の合同手術です。
- 右上顎を元の位置に戻す
- 鼻の骨折部分にチタンの支えを入れる
- 前頭部の損傷を修復し、髄液の漏れを止める
手術が終わったのは、夜の10時50分。実に14時間に及ぶ大手術でした。
時間がかかった理由は、トラブルではなく、手術が2週間延期されたことで、事故から4週間が経過し、ずれた上顎が癒着してしまっていたから。それを引きはがすのに時間がかかったそうです。
執刀医からは「頭全体としては、ほぼ元通りの顔に戻るだろう」との言葉をいただきました。
11月29日〜12月2日——術後の苦しみ、そして光
術後1日目、2日目は本当につらかったです。顔全体がひどく腫れ、痛みで眠れない。両目もほとんど開かない状態でした。
家族は「辛いけど頑張ろうね、だんだん良くなっていくから」と励ましてくれました。
3日目、看護師さんに血で固まった髪をはさみで切ってもらいながら、少しずつ回復。左目が開くようになりました。
4日目、おしっこの管と血液吸引の管が外れ、眼鏡をかけてスマホで会話できるように。「リハビリで立ち上がってトイレに行けた」と報告できました。
12月3日(水)——声が戻った日
この日、僕はついに声を出して話せるようになりました。
まだたどたどしく、時々咳き込みながらでしたが、祖父母は「びっくりして、うれしくて、『よかったね』の連発」だったそうです。
頭の包帯も取れていました。右耳の上から頭頂部をまっすぐ横切り、左耳の上まで達する長い傷跡。何十針も縫ってあるであろう、痛々しい跡でした。
「手術直後は大変だったね」と言われて、僕はこう答えました。
それより入院が暇で仕方がないことの方がつらい。
祖母が笑って言いました。「パパもそうだよ。じっとしていられない性格なんだから」
12月4日〜5日——前を向いて
4日、父親と手術後初めて声で会話。事故当日の朝、警察が自宅に来たこと、「命も危ないかもしれない」と最初に言われたこと——父親から詳しく聞きました。
僕は、自分の事故をこう振り返りました。
高校生になってすぐにバイクの免許を取って、ヘルメットも安物で、それからずっとひどい乗り方をしていた。こんな事故を起こして入院して手術、その報いを受けたのだと思う。
あの日は始発がある時間だったので、電車で帰るべきだった。よく反省しないといけない。
5日、流動食を自分で口から食べられるようになりました。コンビニで買ったアイスの「クーリッシュ」を食べたとき、まだ味がよく分からなかったけれど、それでも嬉しかった。
「次にやる治療が分かると、なんだか嬉しい気持ちになる」
そう話す僕を見て、祖父はきっと安心してくれたと思います。
この記事は、祖父が記録してくれた面会メモをもとに構成しました。